SORALS 設立趣旨書



 18世紀後半に産業革命による機械工業が成立して以降、生産活動は急激に
増大し、さらに19世紀後半に重工業と化学工業とが発達してからは、経済は飛躍的
発展を遂げてきた。前20世紀においても技術革新は加速度的に進展し現在に至って
いる。この間、かかる科学技術の発達が人間の生活に多大な恩恵をもたらしたこと
は何ら疑う余地が無い。しかし、生産活動の急増は自然破壊に繋がり、熱帯雨林の
減少、オゾン層破壊、砂漠化、酸性雨、地球温暖化など、人間の生存を危うくする
数々の問題を生み出した。また、放射能、重金属、薬剤による汚染も深刻化し、本来
は科学技術の恩恵で快適になるはずの生活が、逆に科学技術によって脅かされると
いう皮肉な現象をもたらしている。これは、「大量生産、大量消費、大量廃棄」に支え
られた資源消費型の物質文明による弊害と言えるであろう。

 前20世紀も終盤になって、自然を保全することの重要性が認識されるようになり、
また持続的な発展の可能性が模索され、資源消費型から資源循環型社会への転換
が提唱されるに至った。これは、物質文明に対する反省から生じた当然の帰結とも
言えよう。

 今21世紀は物質文明からの大転換を図る重要な出発点である。もちろん、産業
革命以降営々と築き上げてきた経済体制や高度に複雑化した社会構造を転換させ
ることは容易なことではない。しかし、人間は今自らの生存の危機に直面しているこ
とを勘案するならば、全叡智を投入して問題解決に取り組まなければならないし、
それが今の時代に生きる者の義務と言えよう。

 経済学の目的が「人間が生活を維持するために社会生活の物質的基礎を確保
すること」であるならば、農学の目的は「人間が生存するために、生活を支える生物
資源の可能性を追究し、その実用化の方法を開発すること」であろう。農学とは重大
な使命を与えられた生命系の総合科学なのである。これまでも飢餓や疫病の克服に
大きく貢献してきた。また農学の一分野である生命科学においては、遺伝子の解析
など多くの成果が得られている。生命の視点から科学するという意味では、農学生命
科学と呼ぶほうが相応しい。そして、今後も大きな期待が寄せられるであろう。また、
当然ながらそれに応える責務もある。

 このように農学生命科学が、人類が直面する危機的問題の解決に不可欠である
ことには疑いがないものの、次に挙げる三点をしっかりと確認する必要があろう。

 先ず第一に、目的の明確化である。最近、自然保護の意識が高まっていることを
背景に「地球を救う」とか「環境に優しい」などの文言に日常的に接する機会が多い。
しかし、自然を保護する目的とは、あくまで人間の生存のためなのであり、誤解を
恐れずに言えば決して自然のためではないはずである。この点は明確にすべきで
あろう。

 第二に、人間がヒト(Homo sapiens)であることの再確認である。人間は地球上に
生存する生命の一つであり、生物量ピラミッドの最上位に位置する優占種に過ぎな
い。しかも、その地位は永遠に保証されているわけでもないことは肝に銘ずるべき
であろう。

 第三に、基礎研究の重要性の再認識である。前述の通り、現代科学では遺伝子
を解析し組み換えることも可能であり、あたかも生命を創造し支配したかのように
見える。しかし果して人間は、食物連鎖の出発点であり生態系上で唯一の生産者
である植物たちの行動をどこまで理解しているのであろうか。また、自然生態系に
おける生物の相互作用の仕組みをどこまで解明できているのであろうか。このような
基礎的な知見なくして、人間の生存のために自然を保護することは不可能だと言って
も過言ではない。

 以上のような考え方を示せば、必ず異論が出てくるであろう。そもそも、人間の本質
について、また人間と自然との関係については、古代より現代に至るまでさまざまな
哲学的論争が存在したわけであり、また簡単に結論が出る問題でもない。人間は
地球上で特別な存在であることは事実であろう。エンゲルス(Friedrich ENGELS)が
指摘するように、労働と言語とによってヒトは進化したと考えられるし、生産活動を
行う点で他の生物とは異なる存在ではある。また、人間は地球生態系の一員では
あるものの、人間の廃棄物は生態系の物質循環の連鎖から外れている。しかし、
このことから、人間は自然を認識する主体であり自然はその客体であると捉える
「人間と自然の二元論」や「人間原罪論」で自然破壊を正当化していては問題解決に
はならない。だからと言って、人間と自然とが一体であるという直観的かつ神秘的な
観念論を手放しで支持するわけでもない。これらはしばしば、西洋哲学と東洋哲学と
の対立図式で議論されるが、彼我の差異を比較し検証を加えることに意義はあって
も、人間と自然との関わりを考える上では却って混乱するだけではないだろうか。
資源消費型文明の弊害が自然破壊を招いたことは事実であるが、自然を利用せず
に人間は生存できない。しかし同時に、現状を放置し自然を保護しなければ人間が
将来的に生存することも難しいのである。要するに、自然の利用と保護との限界を
合理的に設定することが求められているのではないだろうか。そして、人間をヒトと
しての「人類」と認識し、生命の視点から道案内役を務めるのが農学生命科学だと
考えられるのである。

 ところで、自然破壊の元凶が論じられる際、最近は人口問題が挙げられることが
多い。それと同時に、将来的な食糧問題が危惧されている。現在約60億人の世界人
口が2050年には100億人に達すると予測され、マルサス(Thomas Robert MALTHUS)
が1798年に「人口論」の中で指摘した「人口は幾何級数的に増加するが食糧は算術
級数的にしか増加しない」との説が200年余を経た今、現実味を帯びた恰好である。

 もちろん、現在でも世界的に飢餓や栄養不足が解消されているわけではないが、
人口の増加が予測通りだとすれば食糧不足は必至と考え、その解決を農学に求め
る意見もある。しかし、飢餓や栄養不足の原因としては、干ばつなどの自然災害、
戦争や紛争による人為的要因、貧困などの社会的要因が挙げられ、必ずしも食糧
不足に求められない。つまり、フランクス(Oliver Shewell FRANKS)が前20世紀半ば
に指摘した「南北問題」である。

 従って、農学生命科学においては、未解明かつ未利用の発展途上国の生物資源
の可能性を探究し、南北問題の解決に貢献すべきであろう。

 さて、ここまで、人類が直面している危機的問題の解決のために「農学生命科学の
振興が重要であること」を検証してきたわけであるが、かかる振興を促進させる主体
は、まさに「市民」でなければならない。ここで言う「市民」の概念とは「自立した意思を
持って活動している人的な存在の全て」である。つまり、かかる概念の前には従来的
組織の枠組みは意味を成さないし、産・学・官の連携といった矮小なものでもない。
身近な例を挙げれば、公務員であろうと民間人であろうと自立した意思を持って社会
参加するのであれば何ら区別されるものではないのであり、さらに世界的視野に立て
ば、国家や人種をも超える概念なのである。そして、混沌とした現代に求められてい
るのはこの「市民」たる自覚なのではないだろうか。

 以上のような認識のもと、我々は、農学生命科学における幅広い研究に対して、
市民の立場から多様な支援を行うことで、農学生命科学の振興を図り、以て「人類
の生存と福祉並びに人類の健全な発展」に寄与することを目的として、ここに特定
非営利活動促進法に基づく「特定非営利活動法人 農学生命科学研究支援機構」
を設立するものである。

 平成14年12月2日

特定非営利活動法人 農学生命科学研究支援機構 設立代表者


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